オアシス物語

喜多川 泰「賢者の書」第七賢者の教えより

 

大きな砂漠にそれぞれが離れている二つのオアシスがありました。
その一つが東のオアシスで、そこには 800 人の砂漠の民が住み、常時キャラバンが出入りしていました。
その東のオアシスに住むためには、ひとつのルールを守らなければならないと東のオアシスの長が決めました。
それは自分の幸せのみを切に願うことで、ひたすら自分が楽しく、過ごしやすく生きられるように、 自分を幸せにしてくれるものだけを探して生きる。
それがルールなのです。
東のオアシスにいる人々は、皆このルールに従って生きています。
往来を行く人も、他人の邪魔をしてはいけないとかは全く考えない。
とにかく自分が歩きやすいように歩く、井戸を使うのもそうで、後の人が使いやすいようにとかは考えないし、 自分が使いやすければそれでいいという使い方しかしません。
おカネも自分がいちばん儲かるようにと、とにかく何から何まで自分にとっていちばん都合のいいものを探そう と必死です。
そういうふうにして、東のオアシスでは 800 人の民が皆、自分の幸せのみを考え、それを追求して生きていました。
一方、逆の方角に、15 日間ほど行ったところに別のオアシスがあります。
それが西のオアシスです。
西のオアシスは、200 人の砂漠の民が住んでいる小さなオアシスですが、西のオアシスの長は、そこに住むため のルールをこう決めていました。
それは他人の幸せのみを切に願うことで、ひたすら他人が楽しめ、他人が過ごしやすく生きられるように、他人 を幸せにすることができることだけを探して生きる、それがルールなのです。

 

ここで話を聞く人たちに聞いてみましょう。
〇〇さん、あなたなら、どちらかのオアシスに住むとしたらどちらを選びますか?

 

「賢者の書」のサイードはためらわず西がいいと答えます。
それはどうして?と理由を尋ねると、サイードはこう答えます。
「東のオアシスは、きっと街が汚れているだろうし、人間関係を作るのも難しそうです。 結果としてなのですが、油断も隙もない毎日を送らなければいけなくなりそうです。」
「西のオアシスは、他人のために頑張らなければならないけれども、街はとても美しいでしょうし、 友だちを作ることも簡単にできそうです。そういうところのほうが僕は好きです。」
賢者は大きくうなずいてから、話を続けました。
そのとおり、事実お前の言ったとおりになっている。
東のオアシスは公共のあらゆる場が汚れている。
争いごとも絶えない。
しかし西のオアシスはあらゆるところが 美しい、皆が協力し合い、平和な街を創り上げている。
もちろん互いに仲が良い。
西のオアシスに住んだほうが幸せになれるのは明らかで、理由はいたって簡単だ。
東のオアシスに住めば 800 人の中で自分のことを幸せにしてくれようとするのは自分一人しかいない、しかし西 のオアシスに住めば、自分のことを幸せにしてくれようとする人が 199 人もいることになる。
絶対的に西のオアシスのほうが幸せになれるはずなのだよ。
単純な論理ではあったが、サイードは妙に納得して。無言で大きくうなずいた。
さて、これだけ考え方の違う、東西のオアシス、お互いの仲はどうだと思うかな?

 

もう一度、話を聞く人たちに聞いてみましょう。
〇〇さんはどう思いますか?

 

「賢者の書」のサイードは「当然、悪くなるでしょう。」とこれも即座に答えます。
しかし、賢者は先ほどとは違い、首を横に振っています。
意見が違えば敵対するというのが正しいように思うかも知れないが、意外や意外、とても仲が良いのだよ、お互 いが一緒にひとつのオアシスに住みたいと思っているほどにな、つまり需要と供給の関係ができているというこ となのだよ。
東のオアシスでは、とにかく 800 人が全員自分の幸せのみを考えて生きている。
ところが、そんな中に自分を幸 せにしてくれるものを探すのは至難の業だ。
そこで人々は、カネを払ってでも楽しませてくれる娯楽を手に入れ ようとするが、そういうものすら東のオアシスにはない。
何しろ他人を喜ばそうという人がいないのだよ。
そこに年に一度だけ、西のオアシスのキャラバンがやってくるんだ。
東の民にとって西のキャラバンは大きな魅力なんだ、何しろ自分を幸せにしてくれることが揃っている。
ある者 は歌や踊りで人を楽しませ、ある者は人を助けることによって幸せにしてくれようとする。
食べ物や宝石類で楽しませてくれる者もあれば、家をきれいに改築してくれたりする人だっている。
とにかく、おカネさへ払えば、自分のことを幸せにしてくれようとする人が揃っているのだから、我先にとそこ に殺到するんだ。
「このことは西の民にとっても大きな魅力であるのは分かるな、なにしろ東のオアシスには、幸せにして欲しい と願って自分たちの到着を心待ちにしている人がたくさんいるのだからね。」
さて、結果としてどうなったか。 わしは両方の長と仲が良い、そこで、以前オアシスを訪ねた時、それぞれのオアシスが持つ財宝の総量を聞いて みた。
東のオアシスには金塊が 200 本分の財産があるらしいが、西のオアシスには 800 本分はあるらしい、 これでは人の配分とは逆だ、それでも東のオアシスでは、早く西のキャラバンが来ないかな、とか、1 年に一度 くらいは贅沢してもいいだろうとか、皆口々に言っている。
東の長ですら、西のキャラバンが来る日を指折り数えて待っているくらいだ。
そして、西のオアシスでは、今度はどうやって東の民を幸せにしようかと考えているのだ。
この街やお前の住むところには、この東西オアシスのようなルールはない、だから、どちらを選んで 生きようが勝手だ。
ところが、自然と人々はどちらかを選んで生きているのだ。
自分を幸せにするものか、他人を幸せにするものの どちらかを。
つまり、この街の中には、領土的な境界線はないが、東と西の両オアシスが存在しているのだ。
この街には約千人の人が住んでいる。
そして、誰に命令されるでもなく、自分らが何を探して生きるかを選択しているのだ。
結果として、わしの目にはやはりこう見えている。
800 人の自分の幸せばかりを考えて生きる者と、 200 人の他人の幸せをばかりを考えて生きる者がいると。
このことが何を意味しているか、もう分かるよな。
この街の全財産のうち、ほんの一部をほとんどの人たちで奪い合い、大部分を二割の人たちで仲良く分け合って いるということなのだ。
もちろん財産に限った話ではない。
幸せという漠然としたものだってそうだ。
この世は、自分の幸せばかり願う者にとっては、辛いことが多く、思うようにいかず、楽しいことの少ない試練 の場かもしれないが、他人の幸せばかりを願う者にとってはこれ以上ないほど、楽しいことの多い、そしてチャ ンスに満ちた輝ける場所なのだよ。

 

この「賢者の書」の著者はそのことに付いては言っていないのですが、他人のことは考えずに、自分の幸せだけ を考えて行動し、生きるというのは今の信用創造という借金に金利が付く通貨の世界に生きる人たちに起こって いることではないだろうか?
そう考えた時に、じゃ仕事とはなんのためにするのだろうか?
生きるというのは自分のためだけにあることなのだろうか?
もし、通貨システムが変わることがあっても仕事や生きることが、自分だけのことやおカネのためだけにあるのなら、子どもたちや皆の笑顔も半分ぐらいになってしまわないだろうか?
ちゃんとした発行通貨に変わる時には、人の心も一緒に変わっていなければならないのでは、ないだろうか?
「賢者の書」第七の賢者の教えのまとめ もし、日本の通貨が変わってもまだ変わらない国もあるでしょう。
常に我々人間が生きる世界にも東と西のオアシスが存在している。
そして人はどちらのオアシスで生きて行くのかを自分で選ぶことができる。
それを決めることによって直接関わり合いを持って生きている人の和が、国の境界線を越えて、 固い絆でそれぞれを結び、その者の所属するオアシスを形成する。
類は友を呼ぶのことわざどおり、思いや生き方に惹かれて、その人の所属する世界はでき上って行く。
引き寄せ法則とはこの類は友を呼ぶのことでもあるのです。

 

 

以下「本書」のまとめより

 

人間は何を探して生きるかという点において、二つに大別される。
ひとつは、自分を幸せにすることを探す人々。
もうひとつは、他人を幸せにすることを探す人々。
どちらを考えるかによって、自分の所属するオアシスが決まる。
自分を幸せにしてくれるものを探して生きる東のオアシスの住人にとっては、この世は思うようにいかない、 楽しいことの少ない場所になるだろう。
ところが、他人を幸せにできることを探す西のオアシスの住人にとっては、この世は悦びに満ちた、楽しいこと の多い場所なのだ。
もちろん、今の世の中の大部分は、東のオアシスの住人であろう。
そんな中で西のオアシスに住むのは、頭ではいいことだと分かっていても、かなかな行動できるものではない。
しかし、世の中の成功した賢者たちはすべて西のオアシスの住人であることを忘れてはいけない。

 

 

 

 

2018 オアシス物語製作委員会

 

アレンジャー:ショッカー隊員

 

 

 

2019.1.23